社会学理論研究室院生
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栃澤 健史 |
「農民たちは、それぞれの与えられた環境の中で生 き、それをあたりまえと思い、大きい疑問ももたなかった。しかし周囲との比較がおこってくると、疑問もわき 、また自分たちの生活がこのままでよいかどうかの検討もおこってくる。そうした場合に、大切なのは、まず自 分たちの力を正しく知ることであった。それには比較と実験に待つことが、まず大切であった。旅が尊ばれたの もそのためであり、経験の尊ばれたのもそのためである。と同時に、先蹤文化をどのようにうけついできたかと いうことの反省も大切で、そういうことで、それぞれ自らの疑問に答えようとした」(宮本常一『庶民の発見』 講談社学術文庫
1987)(若手研究者名簿) |
伊藤 麻沙子 |
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松吉 淳也 |
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平野 孝典 |
逸脱の社会学・社会変動論 |
小柏 円 |
労働社会学・公的職業訓練 |
渋谷 真美 |
家族社会学 |
西山 慧 |
自我論・消費社会論 |
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社会学理論・現代社会学関係者
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井出 草平 |
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佐藤 貴宣 |
(若 手研究者名簿) |
白石 真生 |
「常識を捨てたまえ!この語をあなたの耳朶に早鐘のごとく響かせたい。これが 私のあなたに与え得る最高最急の親切である。常識はあなた自身の知識ではない。あなたの本性に内化せられた る知識ではない。それは実にあなたの所有物ではない。社会と歴史との所有物である。」(倉田百三『愛と認識 との出発』)(若手研究者 名簿) |
保壽 宣子 |
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伊藤 祐 |
「一般化していえば、高みの見物は正確な判断をあたえるが、その判断は役に立 たぬ。たまたま役に立たぬのではなく、役に立たぬそのことが、判断の正確さの条件になっている。つまり事の 本質上無益で正確な判断が高みの見物の結果だということになる。従ってもし私と社会との関係が、本来“解釈 することが目的ではなく、改造することが目的だ”という原則に立っているとすれば、高みの見物ではこまる。 たとえある場合には正確さをいくらか犠牲にしても、有益な判断、役に立つ判断を必要とするということになる だろう。」(加藤周一「高みの見物について」『雑種文化』所収)(若手研究者名簿) |
王 曄 |
「魚にとって大洋がそうであるように、自分や自分のような人間にとって、世界 が祖国である」(ジンメル)(若 手研究者名簿) |
高桜 善信 |
(若手研究者名簿) |
渡会 知子 |
(若 手研究者名簿) |
池本 淳一 |
(若 手研究者名簿) |
太田 美帆 |
「研究する上で大事なのは、誠実に、丁寧に考えること。論文は、「言った者勝 ち。でも、分かること(=無理なく納得できること)を書く」丁寧に考え、分かることを書いた結果、社会に対 する新しい見方が浮かび上がってきたら、最高にうれしいと思います」(若手研究者名簿) |
亀山 俊朗 |
「人間たちはお互いを夢中で殺し合う。生存者がいるだけも驚きだ。」(ルイス ・キャロル=J.L.ゴダール)(若手研究者名簿) |
樋口 明彦 |
「いつも受け手を意識して研究するように心がけています」(若手研 究者名簿)(ホームページ ) |
中川 輝彦 |
「科学は何も証明しない」(G.ベイトソン, 佐藤良明訳, 『精神と自然』,新思 索社,2001,p35.)(若 手研究者名簿) |
景山 佳代子 |
「生身の人間というのは弱いですから、妥協したくなるものです。そんなにか たくなにならないほうが世の中では有利ですし、世の中が流されているなかで一人頑張るというのは、しんどい ことです。ついふらふらと妥協しそうなときに、長年の修行で身についた芸、仕事が、そんなことはできないと 抵抗して、ゆらぐ人間をシャンと立たせる。人が仕事を正すんでなくて、身についた仕事が人の行動をチェック し、人間をちゃんと立たせてくれる。そういう面があるんです。
‘ダス・ヴェルク・ロープト・デン・マイスター’という言葉があります。‘作品 が、それを作った人(マイスター=匠・親方)をほめている’。世間で、誰があなたのことを何といおうと、あ なたのした仕事があなたをほめたたえていますよ、安心なさいという。逆にいえば、世間の評判を気にして流行 に流されたり、利得に目がくらんでいい加減な仕事をしたら、ご自身の仕事から軽蔑されますよ、ということで 、洋の東西を問わず、同じことがあるわけでしょう。」(内田義彦、内田義彦著作集第六巻所収「‘教養’とは 」)(若手研究者名簿 ) |
内海 博文 |
「科学者はあたまが悪くなくてはいけない」(寺田寅彦)(若手研究者名簿) |
川野 英二 |
「人間にかかわる事象においては、笑わず、泣かず、憤らず、ただ理解せよ」 (スピノザ)
「もはや労働は、自分は役に立つという誇らしい意識では遂行されない。むしろ、運 命のあてにならぬ好意が施してくれた特権、まさに自分がそれを享受するという事実ゆえに他の人びとから職を 奪っている特権、つまり他人ではなくほかならぬ自分が職にありつく特権を得ているという、屈辱的で苦悩にみ ちた感覚によって遂行される」(シモーヌ・ヴェイユ)(若手研究者名簿) |